三井浩二の野球少年向けピッチャーズバイブルの評判をご案内しています。
三井 浩二は、北海道足寄郡足寄町出身の元プロ野球選手で現役時代は投手として活躍しました。
2000年に西武ライオンズからドラフト会議で2位で指名されています。
三井 浩二は、ルーキーとしては当時最高の契約条件である、契約金は1億円、出来高払いは5千万円、年棒は1300万円で西武ライオンズに入団しました。
ストレートは、140km/h前後と直球で真っ向勝負するピッチャーではなくコントロールの良いピッチャーという性格です。
投げられる球種は多く、ストライクゾーンの低めに上手にボールコントロール出来るタイプです。
多彩な変化球と正確なコントロールで打者を困惑させるような投球が得意でした。
三井 浩二は、2000年代の西武を代表する技巧派左腕です。
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三井 浩二は、プロ入りすると初年度から2軍のMVP選手に選ばれたりと一定の活躍はしています。
2年目は、2軍ではなく1軍で10勝しました。
リーグ5位の防御率となり、オールスターゲームの出場選手にも選ばれています。
西武ライオンズの先発ローテーションにも入り、チームがリーグ優勝するのにかなり貢献できました。
翌年にも、10勝し2年連続の二桁投手になりました。
2006年は、先発からリリーフに転向し、持ち味をフルに発揮して、45試合に登板しました。
成績としては、チーム2位のホールド数を挙げ、防御率は一点台という好成績を残しました。
2007年にも47試合に登板しました。
防御率は2.22、リーグ3位のホールドを記録する程の好成績を上げる事が出来ました。
年棒もプロ野球選手の平均を上回る7000万円を稼ぎ、名実ともに一流のプロ野球選手として活躍しました。
2010年現役を引退しました。
現在は、プロ野球選手として活躍した豊富な経験や人間性の良さも手伝って、MLBやプロ野球の試合の解説をしています。
さらに、自分の経験や技術をジュニアに教えるための野球塾も運営しています。
実際に指導してきた子どもさんの人数も300人を越えていますし、甲子園の常連校に入学したり、強豪のリトルリーグのチームに所属している子どもさんもとても沢山います。
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